ガムランとの出会い
ガムランと出会ってもうすぐ10年になる。 イギリスの留学先の大学にガムランがあった。ガムランに興味があって選んだ学 校ではなく、ほんとうにたまたま。 ガムランの入口はとても広くて易しいが、とんでもなく奥が深い。ひとたび入っ てしまえばたちまち戻れなくなってしまう。 結局ガムランにすっかり魅せられて、ガムランがいっぱいある街まで勉強にい く。そこで出会うのはガムラン哲学だったり、ガムランがつなぐものだっ た り、演奏の技術や音楽の知識だけでは到底語りつくせないものばかりだった。ガ ムランがあってそれをいつものように演奏できるっていうのが普通の 生活で、 それは実は得難いことなんだと、先生は笑いながらいう。 その言葉に含まれることは先生自身の2005年のジョグジャの被災の経験だったり する。ものすごく大変だったらしいけど、先生は多くは語らない。 つらいことがあっても、怒らず笑って過ごすインドネシアの人の気質に触れる。 ガムランの古典の音楽はみんなでひとつ。技術が難しい。叩く数が少ない。テン ポから外れて叩く。それはそれぞれの楽器の個性や役割であり、優劣で はない ということもガムランは教えてくれる。ガムラン奏者が全部の楽器を学ぶのは きっとそういう意味があるからだろう、と私は思っている。先生は やっぱり多 くを語らないけれど。